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都市化の歴史とスプロール

明治初頭の日本の人口は約3,000万にであり東京は約100万人であった。現代のピークであった2008年時の日本の人口は12,800万であり、東京は1,300万人となっている。日本全体で約4倍の増加の中で、東京はなんと約13倍も人口が増大している。日本も近代化の中で大都市圏域を中心に急激な都市化が進行した。東京では江戸後期から明治にかけても市街地は現在の山手線の中で納まる位の市街地でしかなかったが、時と共に微増し、これが急激に進行したのが戦後の1954年~1973年にかけての高度経済成長期である。この時期は都市圏に多くの雇用が発生し、全国から多くの人が仕事を求め都市圏に流入してきたことが、急成長をもたらした主因である。その流入人口の受け皿として都市圏郊外に住宅が建設されていくことになる。そもそも、このような周辺部へのスプロール的な住宅建設は、地域が一体となって計画してきたものではなく、田畑といった農地等を所有している地主が、不動産マーケットの動向を見ながら、建売屋等に用地を売却したり、賃貸アパートを開発してきた。このため地域の中では住宅化した土地やそのまま農地として残っている土地が混在し、土地利用の混乱した状況が生じた。

このような無秩序な都市化に伴い、都市的土地利用が郊外へ向かって無計画に拡散する状況のことをスプロールという。

スプロールは、無計画であるため社会として負担しなければならないコスト増(スプロールコスト)や以下に列記する様々な都市問題をもたらす。

  1. 道路などの社会基盤が十分に準備されないため、渋滞などによる社会的損失、外部不経済の発生。都市施設や公園などが配置されないことで様々な都市サービスの不足。
  2. そのような問題を改善しようとしても、スプロール市街地形成後のインフラ整備はコストが膨大となる。たとえば、住宅や施設が点在するため、上下水道や電気・ガス・道路などのライフラインは長くて非効率的なネットワークになっている。また、インフラ整備がなされる前から一部が住宅地として販売されることで、すでに地域の地価が上昇している場合が多く、インフラ整備のための用地取得費などもかさむ。
  3. 居住者がどのように都市内で生活するかと見越して開発された住宅地ではないために、公共交通サービスとの対応も悪く、自動車に依存した生活を送る居住者の割合が高くなる。そのようなスプロール市街地が増えることにより、公共交通や中心市街地の衰退が進み、居住者が高齢化してからの生活も買い物困難といった問題になる。
  4. スプロール市街地やその沿道は、どこにでもある街並景観や居住地としての生活環境も良好ではない。

中心市街地の衰退

都市は人間の日常的な生活の場でもある。そのためには、都市の中に基本的な生活環境が整っていることが必要不可欠になる。生活環境の視点から、我々が今現在直面している大きな都市問題の一つに、中心市街地の衰退や商店街の疲弊という問題がある。

地方都市や首都圏郊外の多くは、かつて栄華を誇っていた商店街もその多くがシャッター商店街と化し、まちなかや中心市街地にありながら生活サービスを供給する機能を実質的に喪失している。この主因として、高度経済成長期以降のモータリゼーション化により、自動車が各世帯に行き渡ったことがあるといえる。このような社会の変化を背景に多くの都市では、地価が安く広大な駐車スペースが確保できる郊外に、大型ショッピングセンターやモールなどが立地するようになった。郊外幹線道路沿道にも、自動車利用者へ対応した似たようなチェーン店舗が展開している。個人商店が中心の中心市街地は、郊外大型店と比較すると『①大量仕入れが出来ずに商品が高い、②店舗スペースが限られるために品揃えが悪い、③各個店で買い物をするためにレジが煩雑、④アーケードの無い商店街では天候不順の時に買い物が大変、⑤駐車スペースが無かったり、あっても有料、⑥店舗オーナーによっては商売意欲がなく、態度が横柄』等といったこともあり、中心市街地商店街は郊外大型店に比較して相対的に魅力が乏しく競争力を失って、さらには事業継承者が不在といったことも重なりシャッターが閉まっていった。

このように無計画に郊外に広がるのは住宅地だけではなく大型店やチェーン店も、自動車依存が進行する中で多くの都市で郊外にスプロールしていった。

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