パサージュ

パリやベルギーのブリュッセル等にある屋根が鉄骨とガラスやプラスチック等の透明な素材で覆われた、日本でいうところのアーケード商店街のような商店が密集した商店街路であり、入口と出口の道と道を結ぶ自動車の入り込まない、一般歩行者用の通り抜けできる道である。

尚、上階建物居住者専用の私有地ではない。パリでは左岸になく右岸にしかない。

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パリのパサージュの歴史は18世紀後半に誕生し、今日風でいえば、目抜き通りとショッピングモールと見世物をセットにした複合アミューズメントセンターみたいな感じだと思われる。当代の人にとっては街なかの商店街+テーマパークとして人気の盛り場であり、時とともに人気が出て、最盛期の1820年代にはパリ各地で建設されたが、19世紀後半にデパートなるものが出現するととたんに寂れ始め閑古鳥が鳴くただの商店街に成り下がってしまった。繁栄から衰退へとたどり、時が止まったまま数百十年過ぎたのちパサージュに奇跡が起こった。繁栄が往年のように戻ったわけではないが、パサージュは寂れたままの姿でシーラカンスのように生きた化石として生き残り、1980年代後半になるとレトロブームの波にのって復活を遂げた。

パリで最も美しいと言われているギャルリ・ヴィヴィエンヌには、あのジャン・ポール・ゴルチエの本店もあり、観光客も訪れるパリの人気スポットの1つにさえなって再生されている。

パリ1区 ギャルリ・ヴェロ=ドダ

Galerie Vero-Dodat/ジャン=ジャック・ルソ通り19番 → ブロワ通り2番

悠久の時の中で

投機により新興成金となった二人のブルジョワ「ヴェロ氏」と「ドダ氏」が1819年にこの地所を仕入れ、当時大流行してたパサージュの開発を企画した。
その二人の夢が叶いギャルリ・ヴェロ=ドダが開通したのは1826年。
当時パリ随一の盛り場だったパレ・ロワイヤルが近くにあったので、それに対抗できるパサージュにしようと、店舗ファサードには透明ガラスを多様し、間の壁は鏡で覆い、床には白と黒のタイルを斜めに市松模様に敷き、天井のガラスではない所には絵画の天井画を配して新古典調の豪華でシックな雰囲気を演出した空間を造った。
名は「パサージュよりも高級なパサージュ」という意味で「ギャルリ」という新しい名称。
かくして、ギャルリ・ヴェロ=ドダという名でスタートした新型パサージュは豊かさを追求する時代に適合し人気となった。

しかし、1840年代には、あの太陽王ルイ14世が17世紀に都市壁を撤去して開発したグラン・ブールヴァール側に、より新しいタイプのパサージュが新設されるようになり、更に栄華を誇ったあのパレ・ロワイヤルも賭博禁止令と娼婦追放政策により世紀半ばに斜陽し、集客力が衰え、ヴェロ=ドダも衰退していくことになった。その結果、盛り場でなければやっていけない業種のテナントは撤退し、名刺屋・骨董屋・古本屋とか画廊といった振りの客をあまり必要としない業種だけが残され、この状態が150年以上も続いている。

1965年に、パリ市歴史建造物リストの追加目録に加えられ、解体されることは無くなったが、ギャルリ・コルベールのようにリノベーションされ新古典調でなくなる可能性はある。尚、私が現地調査をした日には、ギャルリ・ヴェロ=ドダに相応しいサロンにいそうなフランス貴婦人が3人優雅に歩いていた。正に絵になる情景である。

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パリ2区 ギャルリ・ヴィヴィエンヌ

Galerie Vivienne/プチ=シャン通り4番 → ヴィヴィエンヌ通り6番

パサージュの女王 降臨

ギャルリ・ヴィヴィエンヌをブティックに選んだ男、ジャン・ポール・ゴルチエはきっと「最も新しいもの、それは徹底的に時代遅れになったものの中にある」というモードの法則を知り抜いていたに違いない。

1789年のフランス革命から王政復古期にかけてパリの盛り場の中心はパレ・ロワイヤルであったが徐々にグラン・ブールヴァールに人気が集まり、その間にあるヴィヴィエンヌ通りは第三の盛り場としてのポジションを確立していた。ヴィヴィエンヌ通りに住む男、マルショーはプチ=シャン通りとヴィヴィエンヌ通りの辺り一帯を地上げし、建築家ドゥラノワに設計を発注して、1823年工事着工し、1825年に開通した。それまでのパサージュが二本の道を直線的に通過するのに対しヴィヴィエンヌは折れ曲がったり、脇道があったり、円形空間があったりと、このパサージュが散策の喜びを味わえる空間として人気を博した。

まずプチ=シャン通り側入口ファサード両脇に道路に開かれたオープンカフェ風のレストランが出迎えてくれる。入口を数メートル進むと中庭型の開放感のある長方形空間が現れる。この空間の何が素晴らしいかというとレストランやカフェのテーブルや植栽が置かれてあり人が滞留できるスペースがあるからだ。ここで一杯休めば心身ともに癒される。

そして次なる空間はロトンドと呼ばれる円形空間がある。この空間の真ん中には開業時にメルクリウスの彫像が置かれていたらしいが、今はない。ロトンドを過ぎ次はギャルリ・ヴィヴィエンヌのメインストリートとも言える42mの歩廊。ここにはナポレオン帝政下に建設されたリヴォリ通りの建築様式の特徴であるアーチ形のファサードがある。この歩廊には鳥居ユキやモードブティックが軒を並べている。この歩廊の最後には5段下る階段があり、左へ曲がるL字コーナー部分も滞留空間であり入口側と比べるとさみしいが角には肖像ポストカードを販売している味のある古本屋がある。L字コーナーから先は建築的に見て格落ちする歩廊になるが、ここにジャン・ポール・ゴルチエの本店が何事もなく佇んでいる。

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